震災ブログ
(32) 鎮魂
07.11
震災から1年4か月の今日。
あの日、両親と妹とその子供を一度に全て失った兄は今日現在も昼夜を問わず一心に仕事に励んでいる。夜就寝につくのが怖いそうだ。。無理もない。
身体が悲鳴をあげていても眠るのが嫌だそうだ。無理もない。
少し、当時の話をした。急に力の入った眼光をみせた彼から意外な言葉が出て私は驚いた。
・・・・・・・・・・
妹の旦那は助かったが・・・当時、かなり精神状態が悪かったらしい。
手が・・離れて・・津波で妻と子供が一緒に消えてしまったそうだ。
妹の旦那はその光景を忘れることができないらしく。。魂の抜け殻のような状態だったそうだ。
震災から2か月後にそんな妹の旦那を見て、言ったそうだ。僕と君との所縁はもうここにはないんだ。だからここに居るべきではない。
北海道の実家に帰ったほうが良い。と言ったそうだ。
もちろん、本心ではない。
私が驚いたのは家族5人・親戚3人の全てを津波で失い。辛いであろう天涯孤独の彼が・・
妹の旦那にみせた気遣いである。
・・・・・・・・・・
このような似た話を被災した方々からたくさん聞く。今なお苦しんでいる大勢の方がいる。
私たちは・・忘れてしまっているんではないですか?
今もなお、行方不明の捜索が続けられているんですよ。
合掌

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(33) 宮城県石巻市渡波から見た復興状況
11.12
復興状況を伝えることをこの数ヶ月怠っていた。
いや正しくは復興状況を書けなかった。
理由は復興が数ヶ月単位で進んでいる・・・同じことを書くことになるからだ。
宮城県石巻市渡波近辺は食品関連の工場がいくつもあったが
1年8ヶ月後の今はどうなっているんだろうか? 写真でお見せしたい。
いくつかの食品工場が稼働し始めようとしているが全体の100分の1ぐらいである。
出店を作って復興への歩みが始まっている。
公共工事は50%ぐらいの進捗かもしれない。
しかし、一方では全くの手つかずの箇所が多いのも事実である。
被災地・被災者は早く復興したいのである。
一日も早くそこに手を差し伸べて欲しいと願う。



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(34) 1年11ヶ月たった蒲生の干潟
02.11
復旧は残念ながら非常にゆっくりであった。蒲生の干潟の今を写真で撮影した。
もうじき2年目になるのに行方不明者が1400名以上も見つからない現実。
厳寒の中、数人のボランテイアが小さな瓦礫を探し集めている。
その近くでは消防隊・警察の方による行方不明者の捜索も行われていた。